2008/06/12(木)
LZR RACER:水着の問題を考える(1)』
基本的にテレビは見ない。最近はネットもかなり制限されているので、いわゆるニュースというものは、昼休みなどにまわりの人たちと話す中で耳にすることばかりだ。

スピード社のLZR RACERという水着をめぐっていろいろ語られているらしいので、少し興味を持って調べてみたのだけれど、例題としてはなかなか面白いテーマだと思う。

ことのいきさつは、どうやら、2008年2月以降の製品の発表以降、水泳競技において世界記録が続出していることがきっかけとなっているようだ。ちなみに2008年6月9日現在で、37の世界記録が樹立されているとのこと*1。これがどれほどのものかというと、水泳競技では、長水路・短水路さらには男女の違いで162個の世界記録が存在し、そのうちの37個ということだから(あくまで述べ数かもしれないが、その辺はわからないので重複はないとする)、比率として23%の競技でこの製品が選挙しているということだ。

また、先日の北島選手の200m平泳ぎでの世界記録は128秒の世界記録を1秒縮めるという1%未満のタイム差でのことだ。このタイムが大きいかどうかとの判断は個々人で違うかもしれないが、少なくとも水泳界では、大きいという判断がなされたようなのだ。

ここまでが、現状ということで、こっからが本題。いろいろな問題点がある。
今回は箇条書きまでにしておきます。

・技術と記録競技をどう考えるのか?
・利用する水着の規定はどうなっているのか?
・公認スポンサーとは結局なんだったのか?
・そこまで世界と張り合うことにどんな意義があるのか?または、その正統性は?
・根本的な水着と流体力学的な考察(物理的理解)はどこまで可能になっているのか?
・結局がオリンピックって何?(参加することに意義があったのは、世界に通用しなかった時代の言い訳?)

まぁ、数え上げればいくらでも出てくる。それぞれに答えを出すことには意味はないかもしれないが、そこにいたる過程では、様々な訓練がなされる問題ではないかと思われます。

技術屋の立場としては、公認スポンサーの研究スタッフに、臥薪嘗胆の想いに頑張ってほしいと思うのでした。
(続けるかどうかは微妙ですが、話題性があるうちは頑張ってみます)
2008/06/09(月)
2008/06/08(日)
雑記。』
なんだかんだと忙しくなってしまった先週。
久しぶりに図書館にきてネットにつないでいるのだけれど、
こんなときでもないと、更新もしないのもなんだかなぁと思うしだい。

みかみ先生の方からのアクセスが多いようなので、
少しばかり、受験をベースにした話も書かないといけないかなと思ってみたり。

学歴関連の話で少し語ると、
ここ数年ビジネス雑誌を通してお父さんの教育(受験)参加が増えているという。

普通の労働層の方々であるお父様は、正直学歴なんてって考えている方も多かったと思います。
しかし、学力低下が叫ばれる中、確かにあれって思う新人君がいたり、あっさり退職しちゃったりする若手がいたり。
仕事の現場からそれまでの教育に疑問をもつ場面は少しずつ多くなってきたのでしょう。
特に部下を指導する立場に立つと顕著にでてくる。

しかし、自分の子供も他人事ではないのではないかと思ってくると、
上記の若者たちの個人の問題だと批判することができなくなってくるので、
自分の子供はしっかり育てないとって発想がでてきているのかもしれませんね。

よいことだとは思うけれど、間違った風潮もなくはない。
そこで、出てくるのが、かつて自分が経験した学歴主義というものを復古させる発想。
これはちょっとずれていると思う。
そのずれた部分っていうのが何なのか考えています。
2008/06/02(月)
雑記』
6月1日付けで発行されたメルマガ
αシノドスvol.5において、以下のインタビュー記事が載っています。

『凶暴両親』の成松哲さんへのインタビュー記事ですが、面白い視点です。
そして、安心安全議論などと含めてちょっと考えることもあり。
後ほど、リンクなどを設定するついでに、少し言及していみます。

凶暴両親 (ソフトバンク新書 (075))凶暴両親 (ソフトバンク新書 (075))
(2008/04/16)
成松 哲

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2008/06/01(日)
儒学の歴史(1)』
 儒学の創始者は【孔子】だ。春秋時代の末期のことだ。この時代は、
戦乱の時代であった。そこで、平和と安定を求めたのが【孔子】なのだ。
ここで出てきたのが、「修身・斉家・治国・平天下」。この中でも重要
な概念と言われるのが「斉家」である。人間がつくる最初の社会集団が
「家」(≒家族)。そこに愛が満ちていれば、国家や天下も争いはなく
なるというものだ。ここでいう「愛」のことを、【孔子】は「仁」と表
現した。夫婦の愛は「如」、親に対する子の愛は「考」、そして兄弟の
愛は「悌」となる。つまり、【孔子】は相手を思いやる気持ちで【社会】
あるいは【世界】を満たすと考えたのだ。これは、キリスト教の「隣人
愛」、仏教の「慈悲」という発想と共通する。
 これが、戦国時代中期になると、【孟子】という人物が出てくる。王
道と覇道の対立概念を引っ張り出してくる。武力で世界の支配(ここで
いう世界とは中華だ)することを覇道と呼ぶ。【孟子】はこれを批判す
る。武力ではなく、徳をもって支配すべきとする王道を支持する。人間
の本性は善であるから、支配者の徳が人民を感化し、天下が治まるとす
る性善説の発想をとります。一方で、武力に頼った覇道をやっていると、
いずれ天が支配者を見放し、新しい支配者を天が迎えるという【易姓革
命】という思想を広めることになった。
 さらに戦国末期になると、【荀子】という人物が出てくる。【荀子】
は【孟子】に対して、人間の本性は悪なのだから、支配者が徳をも
って人民を感化しようとしても無駄だとする性悪説をとる。「徳」の代
わりに「礼」で人々を規制せよと主張とするのだ。この発想を「礼治主
義」と呼び、後に、法家の【韓非】や【李斯】にも影響を与えることに
なる。